The Most Rev. Dr. Ben Kwashi (Nigerian Anglican archbishop)

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世界宣教主日

「苦難に合う教会の宣教」

Psalm 詩篇10、マタイ5:14-16、 ルカ福音書9:11-17, ヨハネ黙示録 5:6-10

February 20, 2022 / CAN

The Most Rev. Dr. Ben Kwashi (Nigerian Anglican archbishop)

Translation: Rev. Shihoko Warren

「苦難に合う教会の宣教」について話します。

最初にお伝えしたいことは、宣教について真剣に考え取り組む教会は、必ず苦しむということです。しかし、 どんな苦難にあっても、私たちの主イエス・キリストがすべてを克服してくださっていることを覚えましょう! 勝利の主にハレルヤ! ジョン・ストット神学者(アングリカン)はこう述べています。 「宣教 (mission) とは、教会の中心である。宣教のためのアクティビティやミニストリーには、神のご性質が現 わされていなくてはならない。また活ける神の言葉が、そこに宿っていなくてはならない。」

21世紀に生きる私たちキリスト者には、この時代にあって福音を伝える責務が神から委ねられています。 まず、私たちが、福音と神の言葉によって形造られ、訓練されなくてはなりません。そして、イエスの生き方を 深く自分のこととして学んでいくのです。また、イエスに忠実に従った歴代の使徒たち・信仰者たちの歩みか らも学びましょう。私たちがまず福音に生かされていなければ、私たちが伝える福音から歪みが生じます。

宣教とは、世界に対する神の働きです。教会は、それを具現化する器官です。

現在の教会は、様々な問題や民族間の争いのなかにあって、教会として機能していないのではないかと問 われています。しかし、そのような人間の弱さのなかで、神が世界に救いをもたらしてくださった福音を、本当 の弱さをもって分かち合っていくことが大切です。これが、真理です!

教会が存在する目的は、この世にあって果たすべきミッションがあるからです。宣教とは、仕えることです。宣 教活動を利用して、自分たちの教会を宣伝したり、地位や名声、権力を求めてはいけません!教会は、世界 に対する神の溢れる愛を現わすためだけに、一途に仕えていくのです!福音を伝えていくには、プラクティカ ルでなくてはなりません。実際に、神の全人類に対する溢れる愛を、私たちは、明白なメッセージと共に行動

で示していくのです。すべての人々、すべての民族が、福音を聞き、知り、心で感じて神の愛、救いに出会っ ていきますように!

今、この時代、北米でも、私が住むナイジェリアでも、民族間の争いが増し、人種のゆえに差別を受けたり、 隔絶された人たちが、声を上げ訴えています。このような今こそが、本物の主イエス・キリストの福音をこの世 に示すときです。もし、どんな教会であっても、小さな信仰の共同体であっても、真剣にキリストの福音を人々 に分かち合うことに向き合っているのなら、必ず、そこには神の救いの力が働き、人々を変容させ、教会・共 同体を変革させます。

主イエスご自身こそが、福音を分かち合うことに真剣に向き合い生きたのです。そして、弟子たちもそのよう に生きていくために、イエスはご自身の生き様、ライフスタイルを示されたのです。イエスは、福音を伝えるた めに、人々に教えましたが、それは口先だけではなく、彼自身がその教えに生き抜きました。また、イエスは 弟子たちをミニストリーの現場で実践的訓練の場を与えました。

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福音に生きる教会は、他者へとアウトリーチし、他者と積極的に関わっていきます。キリストのように、私たち も、福音の満ち満ちた豊かさへと成長していきましょう。イエスは、村々、町々をめぐり、お年寄りから子供ま で、また、人々から無視されていた売春婦や罪人と呼ばれていた人たちを差別せずに、すべての人たちに喜 びの神のメッセージを分かち合い、生き通しました。

私は、いつもナイジェリアにまで福音を届けてくれた宣教師たちに感謝しています。100年前(1906-07 頃)、 私の祖父の時代、6人のイギリス白人男性たちが、自国でのキャリアや生活を捨てて福音宣教のためにナイ ジェリアに来ました。そのうちの2人は有望な若い兄弟で、一人は医者、一人はケンブリッジ大学院を出て牧

師であり、神学者でした。しかし、彼らは若くしてすぐに宣教で命を落としました。その父親は、深い悲しみに あっても、息子たちの代わりに引き続きナイジェリアに宣教師を送るために、自分たちの所有物を売って宣教 のための資金を用意しました。なんという宣教に対するコミットメントなのでしょう!息子たちを失い、苦しみに あってもキリストの福音の宣教にコミットし続けたのです。このような宣教へのコミットが、現在の私たちにも問 われているのです。どんな状況にあっても、どんな苦難にあっても、キリストの福音宣教は、次の世代へと受 け継がれ、不滅なのです。

歪んだ福音をもたらしてはいけません。神と和解できていなければ、また人と和解できていなければ、そこに は福音がありません。神から真の平和を受けているのに、その平和を隣人に分かち合えていないのなら、そ こには福音がありません。人への復讐心や憎悪を抱いているところには、福音は存在しないのです。 本当のキリストの福音は、その人の生き方・生活のなかに現わされるのです。また、福音の実は、キリスト者 たちの住む社会や市・町のヘルスケアや社会福祉などといった正義のなかにも現わされるものです。

たとえ銃を向けられても、キリストの福音は決して絶えることはありません。キリストの福音は、民族、性別、 年齢、背景による差別を超えて、すべての人々に命をもたらすものです。イエスは言われました。「わたしが 来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです」(ヨハネ福音書10:10)と。 使徒パウロは言います。「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じる すべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その 義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。」 (ローマ人手紙 1:16-17)

私は、今の時代を生きる兄弟姉妹たちに伝えたいことがあります。それは、困難や迫害が、決して教会を 滅ぼすことなどできない!ということです。困難や迫害が、キリストの福音を消すことは決してできません! それを覚えていてください。福音を伝えれば、迫害が起こります。神の言葉を伝えれば、苦しみを経験しま す。しかし、このような迫害、困難を経験すれば、私たちはさらにプラクティカルな福音の分かち合い、宣教手 段へと導かれていくのです。イエスもそうです。当時の従来の教え方・宣教の仕方をしたのではありません。 人々への憐れみと共感の心をもって、イエスはユニークな形で福音を伝えていったのです。5千人の給仕の 話を思い出してください。羊飼いがいない羊のような群衆を見てイエスは心を痛めました。イエスは3日間群 衆と共にいて、彼らと心を通わせ、そして彼らが食べるものがなく空腹であることを哀れみました。イエスは、 弟子たちに、群衆のために食べ物を用意しなさいと命じました。同じように、キリストの弟子である私たちは、 この世でキリストの哀れみ・共感を他者に分かち合うのです。やもめたち、孤児たち、障害者たち、シニアた ち、見捨てられた人たち、愛されていない人たち、この世界が虐げ無視する人たちを、私たちは無視してはい けないのです。福音は、その人たちのものだからです。しかし実際、これは、簡単なことではありません。大き な困難をもたらします。お金も時間もかかります。また私たちから多くの愛の犠牲が要求されます。 しかし、 それらのチャレンジに向き合って福音をわかちあっていくとき、神の驚くべき力が与えられていくのです。

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神は、またいつも忠実な者を訓練されます。神は、その忠実な者を、神の同労者として、どんなことがあって も愛し養い続けます。神は、このような忠実なしもべたちを用いて、この壊れた闇の中にある世界を救われる のです。神は、いつもこのような忠実な仕え人を求めているのです。

私が住む北ナイジェリア(イスラム教徒によるキリスト者迫害の激しい地域)では、たくさんの殺人・虐殺があ ります。私は、今までにたくさんの結婚式や献児式、洗礼式などをしてきましたが、それよりもはるかに葬式を 執り行う状態が続いています。毎日人が殺されているのです。

2010年から今に至るまで、数えきれない人たちが殺され、大虐殺が起こり続けています。以前のような1回 による大虐殺ではなく、虐殺の仕方も巧みになり、目立たないように、一日にある村で5人、またある村で10 人、また他の場所で3人などという形で虐殺が起こっています。これらの死を1日また週単位で数えたら、あ きらかに大虐殺です。それがずっと続いているのです。言葉を失う状態です。政府を信頼することはできませ ん。政治リーダーたちは、自分たちさえ満足に食べて寝れればそれでいいと思っています。このような深刻な 事態を気にもしていません。世界は、私たちキリスト者が目指す方向には向いていません。しかし私は、福音 のゆえにいつも神に感謝しています!

虐殺によって人々は家を失い、家庭が崩壊します。(キリスト教徒の)農民たちは、雨季の時期に植物を植え 労働します。また家畜を牧場に放ち育てます。彼らの労働のおかげで、トウモロコシや穀物などが豊かに実り ます。しかし、収穫の時期を狙って、村が襲われ、農民たちは銃殺され、食糧が奪われ、暴力を受け、その村 の家々、建物、教会などが焼かれ、破壊されているのです。こういう状況がずっと続いており、本当に胸が張 り裂けるばかりです。しかし、福音は、決して焼失することはありません!福音は、決して破壊されることはあ りません!私は、その生き証人です。 2つの証をさせてください。

1) 私が仕える教区のある村が、襲われ、人々は殺され、教会も含む村の建物はすべて焼かれ全壊しま した。しかし、焼けて全壊した教会のただなかに、全く燃えない状態で十字架と祭壇が焼き野原にそ びえ立って残ったのです!今もその十字架と祭壇は、生き証として教会で使われています。神は、こ のことを通して、私たちに、キリストの福音は決して焼失も破壊もしないということを教えられました。

2) 去年、キリスト教迫害が激しい北部の町で、私の教区のキリスト者の車数台が通行止めされ、夜も拘 束されました。彼らが車中で寝ていたところ、車に火がつけられ、全員が焼死する事件がありました。 車も人も激しく燃えました。しかし、その燃えた中から、聖書が全く燃えない状態ででてきたのです。 燃えてボロボロになったパソコンのうえにあった聖書です。なぜ、パソコンは全燃したのに、その上に あった聖書が全く燃えず残ったのか本当に不思議です。このことを通して、神は、また私たちに、「神 のことばは決して絶えることがない」という真理をサインとして示されたのです。

私はこれらのことを思うとき、どんな苦しみを経験しても福音宣教は決して絶えることはない!不可能なこと はない!と確信しています。

今日これを聞いているアングリカンの兄弟・姉妹たち、私はあなたたちのことを祈ります。そして、あなたたち を励まします。宣教に真剣に向き合って生きましょう。どんなにつらいことを経験しても、またこれから激しい 迫害や苦しみを経験しても、私たちにはかけがえのないキリストの福音が与えられているのです!私たち は、福音に生き、福音に死ぬのです!福音には、私たちの命を懸ける価値があります!人の力による宣教 は滅びます。しかし、神主導による宣教は不滅です。神にある救いの宣教、命の宣教、福音の宣教、愛の宣 教、主イエス・キリストの宣教は不滅です!

皆さんの上に神の祝福を祈ります。北米にいる皆さんが、この宣教・福音を受け止めて、神からの力を受け て、地の果てにまで福音が宣べ伝えられるように共に仕えていきましょう。 アーメン。