“Jesus’ First Sign: from water to wine” – Japanese

「キリストの最初のしるし:水からワインへ」

ヨハネ福音書2:1-11

      January 16, 2022 / CAN

Rev. Shihoko Warren

Introduction

私たちは、今、Epiphany「公現節」にいます。Lent 「受難節」までの6週間が「公現節」です。

「公現」とは、今まで隠れていたものが、時が満ちたときに、公に現れるという意味です。クリスマス後のこの期間、教会では、イエス・キリストの栄光の救いが、この壊れた世界に公に現れたことを覚えて祝うのです。

Body

今日の箇所、ヨハネ福音書2章は、カナでの結婚式で、イエスが水をワインへと変えた有名な場面です。

ヨハネは、これを、キリストの救いの栄光が公に現われた「最初のしるし」として記述しています。11節でこう述べています。「 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。」 ヨハネ福音書は、イエス・キリストの「7つのしるし」を記述しています。

ヨハネの福音書は、他の福音書とは異なり、象徴的な数字や表現を多く用いて、イエス・キリストの救いが

どんなに栄光に満ちているかを私たちに示しています。今日のカナの婚礼の箇所も、「三日目に」という象徴的な数字と表現で始まります。 これは、「三日目に」復活したイエス・キリストの栄光と結びつけて、ヨハネはこの「最初のしるし」を描いています。 また、ヨハネは、カナでの結婚式を、栄光に満ちた神の国での宴会と結び合わせています。御国において、私たちは皆、キリストの復活の体にあずかって、喜び祝っている栄光のイメージを、ヨハネはここで私たちに示しています。

ヨハネ福音書は、新約聖書の「創世記」とも呼ばれています。ヨハネ福音書は、創世記1章1節の「初めに神が天地を創造した」を反映したオープニングで始まります。「初めに、ことばがあった。この方がすべてを創造した」と宣言しています。つまり、ヨハネは、イエス・キリストにある「新しい創造」の福音をオープニングから宣言し、キリストにある栄光の救いを公に現わしています。

創世記1:1-2節を読みます。「初めに、神が天と地を創造した。 地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。」

ヨハネ福音書における、キリストの「新しい創造」を現わす最初のしるしは、がワインに変わったことです。

ここで皆さんは、「創世記」の「最初の創造」と「ヨハネ福音書」の「キリストの最初のしるし」に、ある共通のものが述べられていることに気づきますか? そうです!両方とも、「水」について述べています。

私は、今日、皆さんに突飛なお願いをしますが、ご自分をここで述べられている「水」と想像して、この箇所を味わってみてください。

物理的にも、私たち人間の身体の半分以上は「水」だと言われいます。成人の身体の場合、平均約60%が水分だそうです。さらに、赤ちゃんになると、体の約75%が水だそうです。そうすると、自分を「水」に置き換えて、今日の箇所を読むことは、そんなに突飛なことではないのかもしれません。

ヨハネ福音書2:6で、カナの婚礼の場には、ユダヤ人が清めに用いる石の水瓶が六つ置いてあったと書かれています。それぞれ約120リットルの水が入る壺だったそうです。 しかし、その6つの水瓶は、すべて空っぽの状態だったと述べられています。

ヨハネは、ここでもまた象徴的な数字を用いています。「6つの水瓶」は、完全数を現わす7より1つ足りない数です。6という数字は、完全ではないことを意味しています。つまり、このユダヤの律法のために使う「6つ

の水瓶」は、「律法による救い、また律法的な信仰は、不完全であり、空しいこと」だとヨハネは暗示しているのです。「キリストの救い」こそが完全であることを、ヨハネはここで私たちに示しています。

7-9節で、イエスは召使たちに、「空っぽの水瓶に水を満たしなさい」と言われました。そして、召使いたちは、かめの縁まで水を満たしました。 それからイエスは、召使たちに、「それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われました。召し使いたちが、それを運んで行き、宴会の世話役が、それを飲むとなんと極上のワインだったと述べています。 水が、極上のワインへと変容したのです!

クリスチャンにとって、「水」は、「洗礼」のシンボルです。洗礼は、私たちクリスチャン生活の「初め」です。

洗礼は、キリストの「新しい創造」の始まりなのです!

信仰生活の「初め」において、私たちはみな「水」なのです。しかし、信仰生活を通して、神の時と方法によって、「水」である私たちは、極上のワインへと変えられていくのです!

私は若い頃、洗礼を受ける前にとても悩み躊躇しました。なぜなら、私は、「洗礼」を受けるには、もっと良い人にまずならないといけない、もっと聖書やキリスト教についての十分な知識を持っていなければ、洗礼を受けるべきではないと誤解していたからです。 しかし、それではいつまでたっても誰も洗礼を受けることはできません。自分の力や努力で、自分を変えることはできません。イエス・キリストの救いの力と恵みだけが、水を極上のワインへと変容させることができるのです。

ですから、もし誰かが、私と同じような誤解を抱いて、洗礼を躊躇しておられたら、もう迷う必要はありません! 洗礼を受けるには、資格も能力も何も必要がないのです!ただ、空っぽの自分に、神から水を注いでいただけばいいのです!イエス・キリストは、あなたを愛するがゆえに、命を懸けて十字架上で死んでくださり、復活してくださったのです!キリストは、あなたといつまでも共におられ、すべての罪をゆるし、死から命へ、闇から光へ、空っぽな人生から神の栄光に満ち満ちた人生へと変えてくださるのです!「信仰」とは、この

キリストを信頼するだけなのです!私たちを水から最高のワインへと変えてくださるのは、イエス・キリストだけです!あなたは、ただ洗礼の「水」を受けることからスタートするだけでいいのです。

「洗礼」は、赤ちゃんが羊水を被って誕生し、最初の息をすることと、とてもよく似ています。どんな赤ちゃんも、誕生するために、もっといい赤ちゃんになろうとか、もっと知識を得てからこの世に誕生しないといけないなど考えたり、生まれることに躊躇したりは決してしませんよね。時が来たら、赤ちゃんを誕生させ、赤ちゃんに命を与え、成長させるのは神です。神は、親やコミュニティーを用いて、赤ちゃんを育てられるのです!

6つの空の水瓶のように、空っぽさを感じる時こそ、「水」を必要としているサインです。「洗礼」へのしるしです。ですから、ためらわず神から水を注がれましょう!キリストの新しい創造はそこから始まるのです!

ヨハネ福音書のイエスの最初のしるしにおいて、水がワインへと変わったのが、いったい「いつ」だったのかは、私たちにはわかりません。私たちは、「神の時」を完全に理解することはできません。

 4節で、イエスは、母マリアにこう述べています。「わたしの時はまだ来ていません。」 この「時」 という言葉は、救いの成就の「時」を指しています。 イエス・キリストは、ご自分の受難、死、復活、昇天を通した救いの成就の「時」を知っておられました。私たちには、「キリストの再臨」・「新しい天地」の成就の「時」がいつなのかはわかりません。イエス・キリストのみが、最終的救いの成就の「時」をご存知なのです。

しかし、私たちキリスト者は、神の「時」が「いつ」かはわからなくても、神の救いのご計画が「どのように」成就していくかは知っています!神は、忠実で謙虚な者たちを用いられるのです!母マリヤは、イエスが言う

「わたしの時はまだ来ていません」について、はっきりわかりませんでした。しかし5節で、マリヤは、召使たちに、「イエスが何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と頼みました。マリヤは、謙虚にそして忠実に

イエスとイエスの言葉を信頼して行動しました。また、召使いたちも、イエスを信頼し、イエスが彼らに言った通りのことをしました。イエスに従うこの謙虚で忠実な者たちがいなかったら、水がワインに変わることはなかったことでしょう。

神は、栄光に満ちた「新しい天地」の救いの計画を成就ために、私たち一人一人を用いられるということを、改めて今日、心に刻みましょう!

CAN教会では、昨年から「キリストの証人」と「聖霊の賜物」について学んでいます。私の若い頃の「洗礼」への誤解ととてもよく似ていますが、私たちは、キリストの証人や聖霊の賜物についても誤解しがちです。

もっと忠実になってから、もっと十分な賜物が与えられたら、キリストに仕えよう、証人になろうと考えてしまいがちです。しかし、これでは、いつまでもたってもキリストに仕えることはできません。いつまでたっても、忠実になることも、十分な賜物が与えられることもないのです!

去年、私たちは、「ヤコブの手紙」も学びました。ヤコブの手紙は、律法的な教えをしているのではありません。ヤコブは、このような誤解をしているクリスチャンたちを励ますために手紙を書いたのです。ヤコブの中心的メッセージは、「何もしないで、単に待っていてはいけない!毎日、主イエスを信頼し、イエスに従い、イエスがあなたに語ったことを、忍耐と希望をもってしていきなさい!」と私たちを激励しているのです。

イエスの語ったことをしていくこと、イエスに仕えていくことは、容易なことではありません。数えきれない困難や挫折があります。しかし、これこそが、神の栄光へ、水から極上のワインへとつながる唯一の道です。

イエスが私たちに語られたことに従っていくことによって、私たちは、忠実なキリストの証人へと変えられていくのです。豊かな聖霊の賜物に導かれて、キリストの福音をこの世界に示していけるのです。このようにして、「水」から「最高のワイン」へと変容されていくのです。

Conclusion

今日の説教の初めに、私は皆さんに、ご自分を「水」に想像するように頼みました。 もう一度、今日読んだ「創世記」と「ヨハネ福音書」の箇所の「水」という単語に、自分の名前、あるいは「私」という言葉を置き換えて読んでみましょう。

創世記1章2節:

「闇が私の表面を覆っている。しかし、神の霊が私の上にあり、聖霊が私の上で働いておられるのです!」

イエスの「最初のしるし」:

「空っぽの私はキリストの栄光の救いに満たされて、私は極上のワインへと変えられていくのです!」

極上のワインとは、私たちのために血を流された「イエス・キリスト」です!私たちは、栄光に満ちたキリストの似姿へと変容していくのです!なんという神の救い、神の栄光と恵みが私たち与えられているのでしょう!

ヨハネ福音書1:12 & 16節はこう述べています。「神は、イエス・キリストの名を信じた人々に、神の子どもとしての特権をお与えになりました。私たちはみな、キリストの満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのです!」

私たちの主イエス・キリストを通して、私たちは、闇から光へと導き出されました!私たちは、水から最高のワインへと変えられるのです! 聖霊が、いつも私たちの上にあり、満ち満ちたキリストの新しい創造へと私たちを導き続けてくださるのです!ですから、安心して信仰生活を歩んでいきましょう。

また、神は、栄光の救いの計画を成就するために、神の子どもたちを用いられることを、いつも覚えて歩みましょう! どうか、日々、私たちが、カナの婚礼のマリヤや召使たちのように、ヘリくだって主を信頼し、イエスが私たちに言われたことを忠実に行っていくことができますように!

私たちの三位一体なる神、父と子と聖霊に栄光がとこしえにありますように!アーメン。