“Authentic Hope” – 「本物の希望」Rev. Shihoko – (5章)

“Authentic Hope”

James 5:7-20

      November 21, 2021 / CAN

Rev. Shihoko Warren

「本物の希望」

ヤコブの手紙 5:7-20

      November 21, 2021 / CAN

Rev. Shihoko Warren

7 兄弟・姉妹たち、主が来られるときまで耐え忍びなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。8 あなたがたも忍耐しなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が迫っているからです。

9 兄弟・姉妹たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。10 兄弟・姉妹たち、主の名によって語った預言者たちを、忍耐と希望の模範としなさい。11 忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈 しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。

13 あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。14 あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。15 信仰による祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。16 だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。17 エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。18 しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。 19 わたしの兄弟・姉妹たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、20 罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。

序文

秋から私たちは「ヤコブの手紙」を学び、いよいよ今日最後の章となりました。

「ヤコブの手紙」は、すべてのキリスト者たちが本物の信仰者へと成熟し、それぞれの遣わされたところで、

キリストの愛に根差した共同体を築いていくようと、私たちに教えています。ヤコブは、1-5章のそれぞれの章で、

本物のキリスト者の特徴を具体的に、私たちに示しています。

1章:試練や困難にあっても「本物の安定」がある信仰者

2章:神の分け隔てのない「本物の愛」で、他者を愛する信仰者

3章:日々の生活のなかで、自分の口・またそこから出る言葉に注意を払い、「本物の自制心」を持つ信仰者

4章:プライドを捨てて、常にキリストの「本物の謙遜」を慕い求める信仰者

そして今日の5章では「本物の希望」を保ち生活する信仰者について述べています。

本文

皆さんは、「希望」という言葉をどのように定義しますか? 

「希望」とは、皆さんにとってどういう意味でしょうか?

多くの人たちにとって、「希望」とは、つまるところ、自分の欲しいものが手に入り、欲しくないものは自分に近づかないようにと願うことではないでしょうか。 

「チャリーとチョコレート工場」の映画を見たことがありますか。5組の親子たちが、ウィリー・ウォンカのチョコレート工場ツアーに招待されました。4組の親子たちは、自分が欲しいものを得るという利己的な「希望」をもって工場ツアーに参加しました。

実際、彼らは、自分たちが欲しいものを衝動的に手に入れましたが、結局、彼らは皆、とても惨な状態になって、それぞれチョコレート工場を去っていきました。 貧乏な環境で生きる11歳のチャーリーだけが、他の4人の子供たちとは違っていました。チャーリーの「希望」は、いついかなる時も、家族を愛し、愛に根差したホームを築くことでした。ウィリーウォンカは、チャーリーに、もし、家族を捨てるならば、億万長者になれるこのチョコレート工場をあげると言います。 チャーリーは、きっぱりとその申し出を断ります。映画の最後では、チャーリーが、心の傷を持っていたウィリーウォンカを家族として迎え入れて、皆が一緒に、楽しそうに食卓を囲んでいるシーンで終わります。

この映画のように、人々は、それぞれ異なる「希望」の定義をもって、神や教会の共同体のところへ来ます。

一部の人々は、神や教会のコミュニティから、自分が欲しいものだけを得るという「希望」をもって訪れます。

しかし、自分が欲しいものが神や教会から得られないと、たいてい彼らは、「チャーリーとチョコレート工場」の4組の

親子たちのように、失望して神と教会の共同体から去っていきます。

一方で、「本物の希望」を求めて、神と教会のところへ来る人たちもいます。 主イエス・キリストに「真の希望」があることを見出すと、彼らは、どんな状態にあっても、辛抱強く、忠実にキリストの共同体とキリストの「新しい掟」に仕え続けます。イエスは、十字架にかかる前夜、弟子たちに言われました。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ福音書13:34) 「本物の希望」をもつ信仰者たちは、生涯、神と隣人に仕えて生きていきます。

キリスト者の「希望」とは、自分にとって都合の良いことを願い求めることでは決してありません。

キリスト者の「希望」は、イエス・キリストにあり、キリストの誕生、十字架の贖い、復活に深く根付いています。

ヤコブの手紙5章は、さらに「本物の希望」は、「キリストの再臨」にあるという究極の真理へと私たちを導きます。ヤコブは、7-8節で私たちにこう述べています。「兄弟・姉妹たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。 あなたがたも同じように忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。」

私たちは、ニューエデンミニストリーに従事しているので、ヤコブがここで農家を例に挙げて、忍耐と希望を持って生きるとはどういうことかを説明している理由がよくわかります。

毎年、私たちは、希望と忍耐をもって、種をまき、庭や作物の世話をします。雨の日も晴れの日も、寒い日も暑い日も、どんなに疲れていても関係なく、私たちは庭仕事を続けます。時として、私たちは、作物が育たなかったり、害虫の被害などに合うと、フラストレーションを感じるときがあります。また、同時に生命の美しさや神秘さを目撃したり、作物が芽を出し、成長するのを見ると感動し興奮するときもあります。私たちは、がっかりしたり、喜んだりしながら、毎年、庭仕事を着々とし続けています。 なぜなら、これらすべてのことは、主の再臨の準備の一部であると信じているからです!私たちは、「ヨハネ黙示録」に約束されている「新しい天地」(新しいエデン)がやがてやってくることを待ち望んでいるからです!

聖書には、「主の再臨」のときまで、キリスト者たちは、必ず迫害と苦しみを経験すると明白に述べています。

新約聖書の書簡を読むと、「主の再臨」に対して信者たちの反応には、2タイプあるのが分かります。

1つのタイプ は、どんなに侮辱されても、迫害されても、苦難にあっても、「主が来られる」ときまで、神のことばと愛にしっかりと立ち続け、忍耐強く、希望をもって、神と人々に仕え続ける信仰者たちです。

もう1つのタイプ は、侮辱、迫害、試練、苦しみを少しでも経験すると、恐れや絶望に囚われて、信仰生活や神からの召しをあきらめてしまう人たちです。

使徒パウロやペテロ、この手紙を書いたヤコブ、また初代教会の忠実な信者たちは、キリストの再臨に「本物の希望」を置いて、信仰と使命にしっかりと立ち続けました。 彼らは、「主が来られる」ことを、漠然と楽観的に待っていたのではありません。彼らは、とても現実的に、また実践的に、そして緊急のこととして「主の再臨」を、待ち続けました。

彼らは、イエスが語られた通り、キリストの信仰のゆえに、必ず侮辱され、迫害され、苦しみを経験することを常に自覚していました。また彼らは、いつでも殉教する覚悟をもって日々を生きていました。彼らは、イエス・キリストにある「本物の希望」を決して捨てず、どのような時も、どのような場にあっても、他者によい知らせを分かち合い続けました。 彼らは、実に、あらゆる侮辱、迫害、苦しみにあっても、忍耐し、なすべきことをしながら、希望をもって生き続けたのです。

ヤコブ5章で、ヤコブは、私たちに、このような本物の信仰者になりなさい!と語っているのです。ですから、ヤコブは、この書の初めから終わりまで一貫してこう述べています。「試練や苦しみにあうとき、喜びなさい!このうえもない喜びと思いなさい。主が来られる時まで、決して希望を失わずに、忍耐しなさい。みことばを

実行しなさい。信仰があると言っても、それを実行しなければ何も意味がありません。最期までキリストの愛の掟に仕え続けていきなさい!」と。

ヘンリーナウエンは、「キリスト者の希望」についてこのように語っています。

「キリスト者の希望とは、神への絶対的信頼です。神が、私たちにしてくださった約束を神は必ず果たしてくださるという絶対的信頼です。そして、その信頼は、私たちを本当の自由へと導きます。希望の人とは、いついかなる人生の瞬間も、すべてが神の御手のなかにあるという揺るがない信頼と知識を持って、いつも生きている人たちです。 歴史上の偉大な霊的指導者は皆、希望の人でした。アブラハム、モーセ、ルツ、マリヤ、イエス、またガンジーやドロシー・デイなどは皆、将来、神の約束が必ず成就することに希望を抱いて、生き続けたのです。同じように、私たちも、希望を持って生き続けましょう!」

ヤコブの手紙5章は、教会の忠実な長老たちについても言及しています。教会の忠実なシニアたちは、共同体における模範であり、希望の人であり、祈りの人だからです。長い人生のなかで様々な人生の試練や喜びを経験した信仰の長老たちは、「主が、いかに慈しみ深く、憐れみに満ちた方」(10節)であるかを知っています。

ヤコブの言う通りです!皆さんそれぞれも、信仰生活のなかで、忠実な長老たちに出会ってきたことで

しょう! 私たちのこのCANの共同体にも、日系ホームにも、忠実なシニアの兄弟姉妹たちがおられます!

また、今、天国で「主の再臨」の日まで休んでおられるシニアの兄弟姉妹たちも覚えます。 私たちは、今まで忠実な長老の兄弟姉妹たちの信仰と彼らの実践的な愛に、支えられ、助けられ、励まされてきました。

彼らたちは、次の世代の信仰者たちが、どんな時も神の愛と希望にしっかりと立ち続けていけるようにと、自らが「主が来られる」時まで信仰と希望に立ち続け、神と隣人に仕えながら神の共同体を築いていくことがどういうことかを示し続けてくれています!このようにして、2千年間も脈々と、世代から世代へと本物の信仰と共同体が継承されてきたのです!21世紀を生きる私たちも、次の世代に同じように、本物の信仰と共同体を継承していくのです!

ヤコブ5章の最後の部分は、実践的な指示と共に、私たちキリスト者が、「主が来られる」時まで、忍耐強く、「キリストの新しい掟」に根差した信仰の共同体を築いていくようにと励まし続けて、この書が終わります。

初めに、「チャーリーとチョコレート工場」の映画の話をしましたが、もう1度思い出してみましょう。チャーリーの「希望」は、他の人たちとは異なりました。 彼の「希望」は、彼の周りの人々に愛を分かち合い、どんな状況にあっても、愛する家族、ホームを大切にし続けることでした。 同様に、私たちキリスト者の希望も、この世界の価値観とは根本的に異なります。 私たちの使命は、「キリストの再臨」 「新しい天地」(新しいエデン)が来る時まで、忍耐強く、忠実に、「神の家」を大切にし、神と隣人に仕え続けることなのです。

祈りましょう。

「どうか、希望の神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって、

本物の希望に溢れさせてくださいますように。」 (ローマ人の手紙15:13)

Glory be to our God: Father, the Son, and the Holy Spirit! Amen!