The Beatitude Series (5) Japanese

八福の教え

CHURCH OF ALL NATIONS

January 10, 2021

­­­今週のみ言葉:「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。」マタイの福音書5:7

Look: Hyatt Moore

の絵を見てください。

Colouring:こどもたちは、これをぬってみましょう。

Listen(聴く): Matt RedmanのMercyという曲を聴きましょう。 https://www.youtube.com/watch?v=DuxzcJps6eo

I will kneel in the dust

At the foot of the cross,

Where mercy paid for me.

Where the wrath I deserve,

It is gone, it has passed.

Your blood has hidden me.

Mercy, mercy,

As endless as the sea.

I’ll sing Your hallelujah

For all eternity.

We will lift up the cup

And the bread we will break,

Remembering Your love.

We were fallen from grace,

But You took on our shame

And nailed it to a cross.

Mercy, mercy,

As endless as the sea.

I’ll sing Your hallelujah

For all eternity.

Mercy, mercy,

As endless as the sea.

I’ll sing Your hallelujah

For all eternity.

May I never lose the wonder,

Oh, the wonder of Your mercy.

May I sing Your hallelujah.

Hallelujah, Amen.

May I never lose the wonder,

Oh, the wonder of Your mercy.

May I sing Your hallelujah.

Hallelujah, Amen.

May I never lose…

塵の中でひざまずく

十字架の御下で

そこは私のためにあわれみが払われた所

私に値する怒りが

取り去られ、過ぎ去った

あなたの血は私を隠しました

あなたのあわれみは

海のように果てしない

永遠にハレルヤと歌いましょう

カップを上げパンを裂く

あなたの愛をおぼえて

あなたの恵みから落ちてしまいました

しかしあなたは恥を私たちから取り去り十字架につけられました

あなたのあわれみは

海のように果てしない

永遠にハレルヤと歌いましょう

あなたのあわれみは

海のように果てしない

永遠にハレルヤと歌いましょう

驚きを失いませんように

あなたのあわれみへの驚きを

ハレルヤと歌わせてください

ハレルヤ アーメン

驚きを失いませんように

あなたのあわれみへの驚きを

ハレルヤと歌わせてください

ハレルヤ アーメン

Think and Engage(考え、捉える):

今週のみ言葉は、「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。」以下の文章は、テリー・ラム司祭の書いたものです。

Mercy(あわれみ)

私たちの文化は、知恵の文化ではなくなってしまいました。知恵は世代から世代へとは伝えられなくなりました。古代の文化ではそうではありませんでした。知恵は容易に見つけられ、白髪に包まれ変装して皺をつけました。第一ヨハネの手紙についてしばし考えてみると、生き残った最高齢の弟子が愛する教会に宛てて書いたものだということに気づきます。彼は何も新しいことは記しませんでしたが、彼が見たこと、聞いたこと、自分の手で触れたことを強調しました。真の使徒は、恐らく地上での最後の日々に、ためらいながらも従う次の世代へとトーチを渡しています。彼の命令は、新しいものではありませんが、元々あるもの予行です。「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(Iヨハネ4:7-8)シンプルですね? 私たちの唯一の使命は、愛することです。そしてもしそうであるならば、愛の行為は、憐みであり、憐みに最も近いものは、おもいやりです。愛の表現は、いつも思いやりに動かされた人の手と足を通して行われます。義務でなく人を愛する瞬間から、愛は数えられ、律法主義の傍(はた)で生きることになります。憐れみは、私たちの恐れや勇気ある世界へのためらいの境を超えさせます。あわれみ深くなりたいなら、愛で行動し勇気のために祈らなければなりません。

Currency(流れ)

適用された憐れみは、飛び抜けた窓のようです。それは、一瞬開いて、閉まります。十分にそれを実践していれば、機会を逃すことなく、窓が開くのを事前に見てわかるようになります。Vineyard Movementの創始者John Wimberは、憐みは、神の御国のCurrency(流れ)だと言っています。それが全体の仕組みです。それは、ローマ人への手紙12章1節に見ることができます。「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。」「そういうわけですから」の前には、聖書の偉大な頌栄(栄光)の節「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。」に、続いています。私たちは、私の一人子によって、来て命を見つけなさいという憐み深い招きによって、この栄光に結び付けられています。このただ一つの応答は、神にあなた自身を捧げることです。ですからこれは循環している流れなのです。神が人に命を与え、人が神の手となり足となるのです。一つの例えをお話ししましょう。私の姉(妹)が、ある感染症によって(COVIDには関係ありませんが)、カルガリーの病院の集中治療室で生死の境を何日もさまよいました。COVID対策で面会はできなかったので、私は毎日ICUに電話を入れました。ある朝、状況を知るために電話を入れたところ、看護師のジェレミーが、これまでの8時間で姉の容態が好転したので、会いに来てもよいと言ってくれました。私は、車に飛び乗って、病院へ向かいました。ICUは私の到着をフロントデスクに知らせておいてくれました。COVID-19の検査をパスし、ICUの16号室へ入りました。そこには、クリスマスツリーのようにチューブやバッグが体に吊るさがっている姉が横たわっていました。私は近寄って、カレンと名を呼びました。彼女の答えは、「神様の顔を見ているの!」でした。そんなことがあるわけないのです。しかし、姉は、神のイメージをもつ人を見ていたのです。そしてそれが憐みに訳された愛のすべての行為をもたらすもの、神のイメージが今ここに存在している。ある人は、それを単なる面会だと言いたくなるかもしれません。私はそれらの単なる機会に憐みが見つかるのだと応答します。機会が来た時に、その機会をつかむ勇気を持つことはそんなに難しいことではないでしょう。私たちを変え、人々を変えるのは、神様のイメージだからです。私は人の意見により変えられることはありませんが、人々の中にある神のイメージによって変えられたことはあります。

憐み深い者は幸いです

八福の教えが、あなたの性格にあった最も良いものを選ぶということではないと言っておきます。それよりも人生の旅を通してすべての教えを目的として成長していくと言った方がよいでしょう。これらの教えを身に着けるのではなく、言うなればそれらに生きると言えます。「幸いです」とはよく訳されています。あなたがそのイメージを持つ者になり、あなたが憐みへと十分に生きることができるのです。憐れみをもって手を差し伸べるなら、神様があなたを通して達して下さいます。それは喜びの極みです。

熟考するための質問:

キリストによって愛されていることを感じる時、どのように感じますか?

キリストの愛を知って、他の人々を愛する時、どのように感じますか?

キリストのあわれみを経験したことはありますか?

その経験であなたはどのように感じましたか?

霊的訓練

個人の訓練:下記の質問について、沈黙して思いめぐらせ、祈りましょう。またノートに書き留めてもいいです。

  1. 神の愛をどのように感じますか?
  2. どんな方法で憐れみを経験しましたか?
  3. 憐れみの窓が開いた瞬間を知るためにどのように気を配ることができますか?

共同体の訓練:今は多くの人にとって試練の時です。共同体の訓練は、私たちの誠実な愛を私たちの周りの人に伝えていくことです。これは、律法主義に導かれた義務的に行われることではなく、周りの人々への真実の愛から出るものです。愛する人に電話をしたり、テキストのメッセージを送ったり、手紙を書いたりしてもよいのです。愛について、私たちの周りの世界へどのように伝えていけばよいのか、真剣に考えてみましょう。