「産みの苦しみから喜びへ」- 仁美さんの証し

「産みの苦しみから喜びへ」

Hitomi san

一か月前に、ケリーさんから、わたしにとって神様がどのようなお方であり、特に出産、育児という新しいシーズンを通して感じていることをCANの皆さんと分かち合ってほしいと、お話しをいただきました。今日こうして、お話しできる機会を与えていただいたことを感謝します。私は昨年8月7日に第一子となる、長女、エミカを出産しました。今日で7ヶ月になります。咲花の誕生は、私のこれまでの人生で一番大きな変化をもたらしました。今日はその中で、最近考えていることをお話しさせていただきたいと思います。タイトルは「産みの苦しから喜びへ」です。

聖書箇所はヨハネによる福音書

  • ヨハネによる福音書16章20-22

16:20 まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。16:21 女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。16:22 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。

聖書には、この世の困難を「産みの苦しみ」として表現している箇所がいくつかあります。私は以前、「産みの苦しみ」という言葉を聞いても、あまりピンときませんでした。おそらく、「出産くらい辛い痛み、それ程大きな苦しみ」のことだととらえていました。けれども、昨年、自分が出産を経験して、この例えをよりリアルに、イメージすることができるようになりました。イエス様は十字架で死ぬ前に弟子達にこのことを語られました。キリストの死よってもたらされる弟子達の悲しみは、まるで「産みの苦しみ」のようだとおっしゃいました。しかし、その悲しみはイエス様の復活によって、完全に忘れ去られ、キリストに再び出会う弟子達の心は大きな喜びで満たされるのだとおっしゃいました。

パウロもローマ人への手紙の中で「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないもの」だと述べています。「被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをして」おり、その苦しみの後に、被造物は神の子供達の栄光の自由の中に入れられます。そして、私たち自身も、この身体がついには贖われることを、心のなかでうめきながら待ち望んでいるのです。

このことから、聖書はこの地上で私たちが味わうさまざまな苦しみは、後に現わされる喜びと分かちがたく結びついていること、そして、その苦しみは、「ただの苦しみ」ではなく、いのちを生み出すための「産みの苦しみ」であると教えています。このことは、私たちが困難を経験するとき、大きな慰めと力を与えてくれます。

私は妊娠中、さまざまな体調不良に悩まされました。つわり、めまい、逆流性食道炎、歯の痛み(激痛)、激しい咳、ホルモンバランスの乱れからくる感情の起伏….次から次へと起こる症状に気持ちも滅入ってしまうこともありました。しかし、これはお腹に赤ちゃんを宿しているが故の苦しみであるとはっきり知っていたので、しんどいながらも、決して絶望的になることはありませんでした。でも、もしこれが原因不明の病であったなら、同じように感じたでしょうか。もしかすると、絶望的な気持ちになっていたかもしれません。この苦しみは、“新たないのちの誕生という希望”へとつながっているのだと知ることは、苦しみを乗り切る際の力になりました。実際、お腹の赤ちゃんは主の御手にしっかりと守られていました。

出産予定日が近づいてくると、もうすぐお腹の子に会えるという喜びと共に、出産という未知の領域に対する不安を感じるようになりました。しかし、これだけは避けて通ることができません。結局、陣痛が始まってから、エミカを出産するまで、約一日半かかりました。想像を絶する痛みでした。しかし、僅か7ヶ月前のことですが、イエス様が例えの中でおっしゃっているように、咲花が生まれた瞬間に、その時の激しい苦痛をすっかり忘れてしまったのです。出産した翌日、生まれたばかりの娘をチャイルドシートに乗せて病院を退院する時、あるナースが私を見て言いました。「あなたは本当に昨日出産したばかりなの?とても信じられないくらい元気そう!」確かに私の身体はボロボロだったのですが、産みの苦しみが過ぎ去り、愛おしい我が子の顔をついにみれたことで心は喜びに満ち溢れていました。

この体験は私に、産みの苦しみは、避けて通ることはできないけれど、その苦しみの先には測り知れない喜び待っているということを実感させてくれました。それは、私たちの人生で起こる様々な苦しみついて考えるときに、天の御国の側からみた視点を思い起こさせてくれました。私にとって、この一年はエミカの誕生という嬉しい出来事がありましたが、一方で身近に悲しい出来事がいくつも重なった年でもありました。目の前に見える状態が悪化していくのを見ると、思わず、「神様、どうしてこのような苦しみが続くのでしょうか?」と問わずにはいれませんでした。この世では、体の病気、精神的な病気、事故、災害、疫病、など様々な苦難があります。そして、この地上にいる間は、クリスチャンであろうとなかろうと、その影響を受けています。もちろん、イエス様を信じている人にはすでに永遠の命が与えられており、最終的には主がすべてを益に変えてくださることを確信しています。しかし、そこに至るまでの道の中でどのように神様を信頼し続ければいいのか、現実が困難に思える時、どこに希望を見出して祈ればいいのか。その部分において、葛藤を覚えるときがあります。

しかし、このイエス様がおっしゃった産みの苦しみの例えから言えることは、陣痛がなければ赤ちゃんが誕生しないのと同様に、この世の苦しみが「私たちのうちに働いて、測り知れない重い永遠の栄光」をもたらしてくれるのです。これは、キリスト者にとって、すべての苦しみは、無意味に断片的に起こることではなく、大きな喜びにつながる確実な一本の道であるというビジョンを私の内に与えてくれました。

私は妊娠中に、何度も赤ちゃんが生まれた時の喜びを想像してみましたが、実際に咲花を自分の胸に抱く瞬間まで、その喜びの大きさを知ることはできませんでした。同じように、後に現わされる栄光、御国の完成、復活してキリストに出会う喜びを今の時点で完全に味わうことはできません。しかし、それらを待ち望むとき、私たちは産みの苦しみを通りながら、大きな喜びに満たされる道へと、イエス様が私たちを導いてくださっているのです。そのイメージは私の祈りの生活にも変化を与えてくれました。私は、目に見える困難な状況がすぐに改善されるようにと祈りがちですが、それ以上に、神様が今、産みの苦しみの中からその人のうちに、永遠の栄光をもたらす何かを産み出そうとしておられることに焦点をあてて希望をもって祈るようにと今、教えられているように思います。

最後に、妊娠、出産、育児というこの新しい人生のシーズンを経験する中で、CANの共同体がどれほど支えになったかを思わずにはいれません。数え切れないほどの、励まし、祈り、産後の食事のデリバリーや愛のこもった数々のギフト、それら一つ一つの共同体の愛の行為に私たち夫婦は圧倒されました。この一年はコロナでほとんど共に集まることができなかったにも関わらず、この共同体を身近に感じ、その中で生かされていることをより深く感じる年となりました。そして、エミカが新たなメンバーとして、この群れに加えられ、共同体の交わりの中で成長できることを思うと、本当に楽しみです。

祈り

天の愛する父なる神様、あなたが、産みの苦しみと喜びは、分かちがたく結びついていることを、そして、後に現わされる栄光に比べれば、この世の苦しみがとるにたらないと思えるほどまでに大きい喜びで私たちを満たしてくださるという約束を感謝します。イエス様がまず、産みの苦しみを通って私たちの内に永遠の命を産んでくださいました。そのことをいつも覚えさせてください。そしてどうか、この共同体が産みの苦しみを経験するとき、私たちの心を新しい命への希望を待ち望むように助けてください。主がいつも共にいて私たち一人ひとりを導いてくださることを感謝します。アーメン